「野村野球」の行方

 このブログはもう1年以上になるが、これを始める目的は、「教育について論ずる」以外にもう一つあった。それは、「これからの日本における『スポーツ観戦』のあり方の考察」をするというものである。初期の記事にスポーツネタが多いのは、実はそのためでもある。しかし、その後は私自身が毎日の仕事などに追われてしまい、思うようにスポーツ観戦をすることができなくなっていた(当初は、もっと野球場やサッカー場に足を運ぶ構想だったのである)。
 そして、その初期の記事において何度か取り上げたのが、日本プロ野球・楽天イーグルスの「野村監督」であった。だから、このたびの楽天イーグルス関係の出来事について書こうと考えていたのであるが、このたびようやく監督問題に決着がついたようなので、このタイミングがまあよいかと思う。
 
 野村監督は、楽天の監督を退任することになった。史上初のペナントレース2位・CS出場という結果を残した後の、この結果である。私は以前のブログにおいて、「現在の日本プロ野球が『野村野球』をどのように遇するかが問題だ」という主旨の記事を書いたが、それは「野村野球の今後」についての私なりの二つの予想に基づいたものであった。
 一つは、「野村野球は現在の日本プロ野球で結果を残せない」というものであった。簡単にいえば、「野村野球ではもう勝てない」ということであった。しかし、これに関しては、完全に私の予想は外れたことになるから、自らの不勉強を恥じるだけである。
 二つめは、「野村野球は現在の日本プロ野球に受け入れられない」というものであった。簡単にいえば、「野村監督の来季続投はない」ということであった。そして、この点に関しては「やっぱり」というのが、今の私の素直な感想である。

 この点に関する報道の中で、私が気にとめたのは毎日新聞の記事である。
 それによれば、楽天のフロントは、「監督への一任」よりも「組織としての機能的な役割分担」を優先したということになる。要するに、どれほどある人が監督業に長けていたとしても、「すべて監督にお任せします」ということにしたくないということである。悪く言えば「できるだけ多くの人が口を出したい」ということであり、よく言えば「一人の暴走を防ぎたい」ということである。
 これが、現在の日本における「理想的な集団のあり方」を示しているのだろう。そして、そのこと自体はむしろ奨励されるべきことであると、私は考える。なぜなら、一般的にある集団が「硬直化」しないためには、その組織内における「多様性」を維持することが大切だからである。
 もちろん、これはあくまでも「一般論」である。そして、今回の「野村退任」が「フロントの暴走」を招くようであれば、かえって楽天球団は「硬直化」への道をたどることになるだろう。しかし、現時点での楽天のフロントは、「野村続投」を「硬直化」の端緒としてとらえ、その代りに「組織としての機能的な役割分担」という形態を導入することを選択したということになる。だから、今回の選択の良否は、その後の楽天球団が「硬直化」を防げるか否かにかかってくる。

 「野村野球」はその固有のあり方によって試合での結果を残し、同時にその固有のあり方によって退任へと導かれた。つまり、「野球で勝つ方法」においては「受け入れられた」が、「チーム・マネジメント」においては「受け入れられなかった」ということになる。そして、これが「現在の日本プロ野球の『野村野球』の遇し方」である。これほど安定した「野球の勝ち方」というノウハウをもっていながら、ご本人の遇され方はこの通りである。
 「野村野球」は、どこへ行くのか。私個人としては、この「楽天伝説」を有終の美とするのでも、もう充分によいのではないかと思う。現在の日本プロ野球の様子を見ていると、強くそう思う。


本が出ます

 いろいろ忙しくて、ブログの更新まで手がまわっておりませんでした。

 さて、このたび私の書いた本が出版されます。一部の書籍を扱うページに出ているみたいなので、自己紹介させていただきます。
 タイトルは『憲法教育と社会理論 立憲主義は現代教育に通用するか』で、勁草書房より出版されます。初めての単著ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

テレビに映らないもの

 女優・大原麗子がなくなったそうだ。まずは、ご冥福をお祈りいたします。

 それで、「そういえば、最近テレビに出ていなかったなあ」と思ってテレビを見ていたら、難病と闘っていたのだそうだ。「そういえば、どこかでそんな闘病話を聴いたことがあったなあ」とも思ったのだが、「本人の壮絶な闘病生活」も、それに他の人が思いをはせるのが「死後」というのでは、ずいぶん寂しい気がする。

 それにしても、テレビに出てくる芸能人というのは、基本的に「明るい」。「明るい」というのは性格とかそういうことではなく、「生活がうす暗くない」ということだ。例えば、最近では「パパ」や「ママ」であることを話題にしながらテレビに出る人って、増えているでしょう。しかも、「素敵な家庭を築いています」みたいなイメージで。
 そして、その一方で、「生活のうす暗さ」のようなものは、できるだけテレビに映らないようにする。それは、「病気=うす暗い」ということではない。なぜなら、「親子や夫婦で闘病生活をがんばっています」というようなものは、むしろ積極的にテレビに流れているからだ。「生活のうす暗さ」というのは、「病気」ではなくむしろ「孤独」なのかもしれない。

 そうやって、テレビは人の生活に「線引き」を行っている。そして、なるべく「うす暗い」感じのものは映らないようにする。しかし、いったん「元トップアイドルから容疑者へ」のようになると、それまで「(ママさんタレント」として)明るく」映っていた芸能人が、一気に「真っ暗(真っ黒)な人」として映るようになる。
 かくして、「うす暗い」感じのものだけが、テレビに映らない。


 

 

オバQも全集に

もうすでに予告されていて、「今ごろ?」と言われそうなのであるが、
『藤子F不二雄大全集』が出るんですって。

いろいろな問題で「封印」していた作品なども入るそうで、何よりですね。
特にオバQなんてもろに二人の「合作」だから、そこいらへんのこともクリアできているんでしょうね。
でも、オバQの昔のなんか読むと、女の子の絵は石(ノ)森章太郎のに見えるもんね。

でも、これ欲しくても、もう置く場所がないんだよねえ…。

全日本プロレス→ノア

 今日、プロレスリング団体であるノアに関する、このような記事をインターネット上で読んだ。
 なんでも、三沢光晴氏が存命だった頃に幹部クラスだったレスラーが、新しい経営体制に関して自分の意見を言ったところ、ノアの株式を半分以上持つ三沢夫人に却下され、自ら対談を決意したということらしい。
 しかし、このような事態を以前に見たことはないだろうか。ジャイアント馬場氏亡きあと、馬場夫人が全日本プロレスの実権を握り続けることに反発して、ノアが新しく設立されたのではなかったか。

 別に、このような事態から「人というのは〜」といった、知った風な処世訓のようなものを垂れ流そうとは思わない。なぜなら、それは文字通り「プロレスに死んだ」三沢光晴に失礼だと思うからだ。
 しかし、このような記事を目にすると、何か思わずにはいられない。


プロフィール

Author:鈴木弘輝
都留文科大学非常勤講師
首都大学東京非常勤講師
東京都立大学(社会学)博士
主に、コミュニケーション論・理論社会学・教育社会学を研究しています。

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